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牛首紬-落人伝説の織り今再び。
霊峰白山の麓 石川県と福井県の県境に近く、手取川の流れる牛首谷にそって小さな集落がある。
冬には三米を越える雪に覆われる海抜2702mの山村。ここが牛首紬の故郷、白峰村である。
白峰村はその昔 牛首十八ヶ村とよばれていた。牛首村の起こりは、養老元年(07/07)に白山開闢をした秦澄大師が、この地に牛頭天皇を祀ったのが始まりとされている。牛首の由来は、この「牛頭」からきているといわれているが、定かではない。また白山一帯には落人
白峰村全景
伝説が数多く残り、この村も平氏の隠れ里だったという。そしてその落武者の妻女が村人に伝えたのが、牛首紬だといわれている。
 この紬が全国に知られるのは江戸中期。大正時代には結城・大島と並び三大紬のひとつに数えられた。しかし昭和に入り戦争の勃発を境に生産数は減少、そして昭和49年、手取川のダム建設に伴い多くの牛首生産者が廃業する。このことは、牛首紬の将来を決定付けることとなった。現在僅かに2社がその生産を続けている。
牛首紬の特徴はその風合いにある。まるで結城と大島を合わせたような地厚で丈夫で、軽くて柔らかい風合いなのだ。その秘密は糸にある。牛首紬は緯糸に玉繭(蚕が2匹で作った繭)を使う。そしてこれらの繭から座繰りで糸を引く。「座繰り」とは手繰りで糸を引く。「座繰り」とは手繰るという意味で繭を鍋で煮て手で直接引くのだ。糸口が二つある玉繭は糸が絡んで機械では引けない。60〜70個を煮ながら糸を引き 集めた糸を勘のみで、糸の太さを一定に保ちながら一本の糸にしていく。この製法を「のべひき」といい無形文化財にされているが、今では高齢化が進み、引き手も数える程となった。引かれた糸はのべ枠に巻かれる。巻き取る動力は人力。糸はテンションがかからず。ゆっくり宙を泳ぐ。実はこの工程に牛首紬の柔らかさの秘密が隠されている。糸が空気を含むのだ。機械で引かれた糸は伸び切ってしまい空気の入る余地が無い。このような特性は、牛首紬の糸だけが持つ独特のものである。
のべひき作業

座繰り糸を使った紬は現在では牛首以外には無い。しかし「座繰り」という糸取りは、決して特異なものではない。古くはどの地方でも糸が取られていたのだ。それは、自分達が消費する糸である。繭
の生産には、必ず売り物にならない玉や屑繭が出る。それを使って人々は自家用の織物を織った。座繰りは、屑繭から糸を引くために編みだされた技なのだ。そしてその自家用織物こそ、今日の紬なのである。どんなに高価なものでも紬は普段着という考え方は、ここから生まれたのだ。
 耕地率が1%にも満たない牛首の人々は、生きる糧を山に託す他なかった。春の訪れと共に焼畑に山に入り、冬の雪篭りの中、糸を紡ぎ機を織る。自給自足の暮らしの中で、牛首紬
が生まれたのは必然だった。この白峰村を訪れたのは、今から9年前のこと。当時はコンビにすらない山奥の閉村だった。時は移り今やIT時代。この原稿も白峰村のホームページを参照した。しかし牛首紬を取り巻く環境は、一段と厳しくなっている。作り手の高齢化、原材料不足、生産数は4000反を切っている。今回、3月の催事でも商品はともかく、実演は無理かと思った。しかし前回来場頂いた小倉きしさんに無理を願い、何とか開催の運びとなった。恐らく糸取りの実演は、今回が最後になるだろう。
 何時の世でも、時の流れに文化は変質する。それは誰にも止められない。せめて時代の目撃者として最後まで見届けることが我々に出来る唯一のことなのかもしれない。「から糸を引き、が糸に生まれ変わる」きものの原点ともいえるその光景が、いつまでも続くように願って止まない。
牛首紬参考資料 http://shofu.pref.ishikawa.jp/shofu/kougei2/thumugi/rekimain.htm
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